固有時との対話:吉本隆明

わたしは知っている それから以後何処と何処で赤いカンテラに出遭ったか!
さうして不思議なことにその赤いカンテラの形態も道路工夫たちの衣服も<若しかするとその貌も>少しも変わっていないことであった.さうして彼等のツルハシ一打ちがほんの少ししかアスファルトをえぐらないこともまったくおなじであった.

何と言う記憶! 固定されてしまった記憶はまがうかたなく現在の苦悩の形態の象徴に他ならないことを知ったときわたしは別にいまある場所を逃れようとは思わなくなったのである.

かつてわたしにとって孤独というのはひとびとへの善意とそれを逆行させようとする反作用との別名に他ならなかった けれどわたしは自らの隔離を自明の前提として生存の条件を考えるように習わされた だから孤独とは喜怒哀楽のやうな言はばにんげんの一次感覚の喪失のうへに成り立つわたし自らの生存そのものに他ならなかった

おう ここに至ってわたしは何を惜しむべきであらう

ただひとつわたし自身の生理を守りながら暗い時圏が過ぎるのを待つのみであった ひとびとはわたしがわたしの部屋にもあの時間の圏内にも何の痕跡も残さなかったといふことを注視するがいい